【能登半島地震の救援物資輸送】~物流の使命~被災地へ想いをつなぐ
去る1/16、藤俊運輸(株)は能登半島地震救援物資輸送のお手伝いをさせて頂きました。
今回は、その輸送に携わったドライバーの手記を掲載いたします。
【能登半島地震救援物資輸送~物流の使命~被災地へ想いをつなぐ】 ドライバー手記
2024年、寒さが厳しい1月。普段と変わらない朝、廣瀬常務からの連絡で、藤俊運輸の仲間たちとともに、能登地方への救援物資輸送の任務に参加することとなった。
1月12日、午後。河合町からの救援物資輸送の要請が届き、北葛城郡の4町が協力して物資を集め、4トン車2台が出発することになった。なぜ4トン車2台かというと、現地の道路状況が厳しく、農道や細い道が多いからだった。
1月15日、午後3時。広陵町クリーンセンターで、水、食料、テント、毛布、マスク、ミルク、靴下など、被災地の方々に必要な物資を積み込む。1時間ほどの作業で、荷物は準備完了。
広陵町クリーンセンターで積み込み
1月16日、早朝8時。広陵町役場での出発式。広陵町長の励ましの言葉を受け、私たちは安全に被災地へ物資を届けることを胸に刻む。法隆寺インターチェンジからスタートし、北陸自動車道を経由して金沢東へ。その後、のと里山街道に合流し、徳田大津インターチェンジまでのルートが決まった。
広陵町役場 出発式
廣瀬常務、青木部長、大島係長が見送りに来てくれました
大勢の方に見送られて出発
道中、木ノ本インターチェンジでの冬用タイヤ規制による渋滞に遭遇。この日の前日に廣瀬常務の指示で新しいスタッドレスタイヤへ交換して下さっていたお陰で難なく規制をクリアでき、北陸道を進むことができた。
のと里山海道の途中、道路のひび割れや損傷が目立ち、被災地の現状を改めて感じる。しかし、無事に徳田大津インターチェンジに到着し、役場の担当者と合流。下道を進む中、雪や悪路に悩まされながらも、4トン車が役立つ瞬間となった。被災地では人々の気配が薄く、崩れた家屋が見受けられ、その光景に胸が痛む。
16時ごろ、目的地である穴水町B&G海洋センターに到着。役場の方々や自衛隊の方々の協力を得て、物資の荷降ろし作業が進む。17時頃、使命を果たし、帰路についた。
現地で荷降ろし
1月1日、僕は何不自由なく、暖房の入った部屋で家族と過ごしていました。テレビがニュースに変わり、地震の発生を知る。
それから毎日テレビで観るたび、何をしたらいいのか?また何ができるのか?いろいろ考えましたが結局、行動できずにモヤモヤした毎日を過ごしていたのです。そんな中、廣瀬常務から今回の支援物資輸送のお話を頂いて、何か心の中でうれしく思いました。
藤俊運輸のみんなの中に、僕と同じ気持ちの人がいるはずだ。
「被災地の人々の為に、何か少しでも支えになりたい。」
みんなのそんな気持ちを代表し、会社の代表として行くことを決意しました。
帰社し、家族のもとに戻ると、平穏な日常がより尊いものに感じられました。この出張を通じて、安全運転の重要性、防衛運転の意味を改めて噛み締め、未来への想いが新たに湧きました。